Kazu-Tのクルマいろいろ
【はじめに】
日本の制限速度は一般道路で60km/h、高速道路で100km/hである。規制速度標識(50とか40とか書いている丸い標識)が掲げられている区間はその速度が上限速度であるが、その規制速度標識がない区間においても、原則として一般道路での上限値が60km/h、高速道路での上限値が100km/hであるわけであり、それ以上の速度で走行すれば道路交通法違反で取締りの対象となる、ということである。
私の正直な感想は、一般道路で60km/hというのは良いと思うのだが、高速道路で100km/hというのは、いささか低すぎると思っている。単なる「感覚論」としてもそう思うし、理屈で言っても、法律が出来てから何十年も経ち、その間の自動車の性能の向上は計り知れないものがあり、高速走行安定性能及びブレーキ性能に関しては現在の自動車と何十年も前の自動車とでは倍半分の開きがあるであろう。それなのに制限速度だけは全く見直されないのだから、「腑に落ちない」のである。
更に体験論で言えば、高速道路を走行中では、100km/h以下で走行しているクルマより、それ以上で走行しているクルマのほうが多いと思うし、極端にスピードを出しすぎているクルマは別だが、120km/h程度で車群の流れに乗って走行しているクルマが特に危険だと感じることもない。
以上のように普段から感じていたら、本日の新聞で興味をひく記事が載っていた。見出しは、
「警察の捜査車両 速度違反 摘発相次ぐ」
というものである。この記事の内容は、警察の捜査車両の制限速度に関する法律の不備の可能性を指摘しているものだが、一般車のそれにおいても通じるものがあると感じさせられたので、この記事をもとに現在の「制限速度」について感じたことを以下に述べる。
なお、当該記事は平成20年5月25日付け産経新聞に掲載されているものです。記事の内容をそのまま引用する部分は青字で記しています。
【緊急車両にも制限速度がある】
ご存知のかたも多いと思うが、緊急車両にも制限速度があり、サイレンを鳴らしているからといって無制限に速度を出してよい訳ではない。
しかし具体的な値は、今回の記事を読んで初めて知った。記事によると、一般道路が80km/h、高速道路が100km/hとのことである。従って、高速道路の100km/h区間においては、緊急車両であっても一般車と制限速度は変わらないことになる。記事によれば、「これ以上の速度での捜査車両の走行は違反になる」(警視庁交通総務課)。
私の感じるところでは、冒頭で述べたような一般車に対する規制速度に対する感想と全く同じ感を受ける。一般道路が80km/hというのは「良い線」だと思うのだが、高速道路が100km/hというのは、いささか低すぎると感じる訳であり、また実際に高速道路上でサイレンを鳴らしながら走り抜けるパトカーの速度は、100km/hを大きく超えている場合が多いと思う。
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ただし緊急車両の場合は、上記の制限速度を「絶対に超えてはならない」訳ではない。絶対に超えてはならないのなら、逃亡犯の追跡や凶悪犯に対する緊急配備等に支障を来たすであろう。
当該記事によれば、状況によって緊急車両が制限速度を超えて走行することが認められる根拠は、
「違法性を免除する刑法35条の『正当行為』の適用」
だという。法律としての『正当行為』は特に緊急車両の運行に限られたものではない。簡単に言えば、一般の人が行えば犯罪行為であるが、特定の職種や状況により法令上「正当」と認められる行為のことである。従って緊急車両の速度超過による運行に関しても、速度超過の必要性が認められれば、速度違反には問われないわけである。
【 『正当行為』の適用基準がない】
しかし緊急車両の速度超過による運行に対する正当行為の基準が明確でないことから、現場が混乱しているという。以下は記事の抜粋である。
昨年5月に富山県警が公表した事案では、自動車盗で現場に急行したパトカーが国道を時速124キロ(44キロ超過)で走行して摘発されたが、その後、違反免除に。熊本県警では平成12年、指名手配犯を追って速度超過した福岡県警の捜査車両に反則切符を切らず、警告にとどめた。
逆のケースもある。警視庁の機動捜査隊員が「指名手配犯が現れた」と通報を受け、隣県に急行した際、オービスに撮影されて違反切符を切られた。
【kazu-T的な指摘はここから】
以上までの記事を読み進めた段階では、「そりゃ、どないかせんなアカンやろ」ぐらいにしか思っていなかったが、記事の後半に、看過できない内容が出てきた。まずは、ある県警幹部の発言。
ある県警幹部は「緊急走行中に事故を起こせば、緊急走行が必要だったか厳しくチェックされる。むやみやたらな緊急走行を戒めるためにも、正当行為の認定は厳格であるべきだ」と指摘する。
匿名の発言記事なので真偽は分からないが、仮に幹部が本当にこのような発言をしているのならば、現場の士気を下げ、また市民からの警察に対する信頼感を失わせる、非常に問題のある考え方だと私は思う。
現場の捜査員や警察官は、誰かから必要性を厳しくチェックされるかどうかを念頭において緊急走行を行うべきなのか。最低でも私は違うと思う。緊急事態に迅速かつ的確に対応すべきために緊急走行をするのであり、その状況に応じて最適な走行速度を決定すべきものであって、事後の「厳しいチェック」を気にしていて務まる任務ではないと想定される。
更に、仮に現場の判断で的確な走行速度をもって任務を遂行したのにも関わらず「権力の監視」の名の下に、理不尽な批判にさらされた場合においては、その時にこそ幹部など上部の人間が丁寧な検証や説明を行い、正当性を主張すれば良い。
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万が一、一部の心得の無い警察官や捜査官が事案の状況に鑑み不適当な「むやみやたらな緊急走行」を行ってしまった場合には、その本人たちや責任者を注意し、もしくは処分した上で、今後そういう行為をしないように戒めるべきであって、「戒めるためにも、正当行為の認定は厳格であるべきだ」というのはおかしな論理に聞こえるし、まるで幹部が最初から「部下たちは戒めておかなければ暴走しかねない」と考え、全く下の者を信用していないような発言に聞こえる。
【オービスや取締りの存在意義】
更に記事では、以下のような内容が述べられている。
捜査の現場では波紋が広がっている。速度違反を恐れるあまり、追跡時でもオービスの前で速度を落としたり、捜査車列の先頭を走りたがらない捜査員がいたりする。
この内容が本当なら警察は(一部の人間かも知れないが)、自ら取り締まりの有用性を否定していることになると想定される。
私はオービスが光るような速度での走行は、昔の若い時は別として、現在は一切しないので、愛車にはレーダー探知機の類は一切付けていないし、またカーナビも嫌いなので付けていない(ちなみに若い時も含めて過去にも一度も付けたこともない)。制限速度(もしくは規制速度)を大幅に上回って走行することはないし、周囲の車群の流れよりも飛びぬけて飛ばして走ることもないので、取り付ける必要性も感じない。
しかし巷にはレーダー探知機の類があふれているし、最近ではオービスの位置を教えてくれるカーナビもある(人のカーナビで初めて知った)。
高速道路で走行していると、もの凄く飛ばして走ってきてオービスの手前で急減速するクルマを多々目にする。走行車線がけっこうな密度で流れている時に追越車線を飛ばしてきて、オービスの手前で急に減速して走行車線に割り込んだりする。はっきり言って、そのまま飛ばして走り去ってくれたほうが、よほど安全だと思う。
オービスや、事前にレーダーで探知できるタイプの速度取り締まり(いわゆるネズミ捕り)なんて、所詮そんなものである、ということであろう。ようは、ある程度の抑止力は持つのだろうが、基本的には事前にオービスの位置を調べて知っていたりレーダー探知機でネズミ捕りを事前に察知したり、用意周到な者に対しては、どれだけ危険な走り方をしていても何の効果も持たないし、逆に何も知らない正直者は、特に危険ではない走り方をしていても、例えば見通しが良く広い歩道が整備されており歩行者や自転車が完全に分離されている道路で制限速度を10km/hちょっとオーバーして走っているクルマが捕まったりするのである。
しかし世の中には「完璧」など有りはしないので、それも仕方のないことだと思うし、全く取り締まりが行われなければ道路が「無法地帯」となってしまい危険極まりなくなってしまうので、やはり完全ではなくてもオービスやネズミ捕りによる取り締まりは必要と私は思う。
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ただ上記の記事の通り、取締りを行う警察側の人間が取締りの持つ効力の「限界」を利用して「追跡時でもオービスの前で速度を落としたり、捜査車列の先頭を走りたがらない捜査員がいたりする」のが本当であれば、言語道断であると私は思う。自らが使命感や正義感に照らして本当に必要と思うのであれば、オービスがあろうとなかろうと必要な速度を出せば良いし、また必要が無ければ絶対にオービスや速度取締りのない区間であっても、速度を自制すべきである。犯罪者の追跡にあたって追跡する側の警察車両がオービスを気にして運転しているのが本当であれば、警察に安全を委ねている国民からしたら、たまったものではない、というのが私の思うところである。
【捜査車両の制限速度だけ上げれば良いの?】
当該記事の最後のほうでは、以下のように記されている。
緊急自動車の最高速度規定は昭和35年の施行令制定以来改定されていない。捜査サイドは「車の性能が上がり、逃走車両の速度も速くなっており、時代に即したものに」と規定速度の引き上げを求める。
捜査サイドの言い分はもっともであるが、事情は緊急車両に限った話ではない。一般車両(=我々が運転するクルマ)に関する制限速度だって、同時期に制定以来改定されていない。クルマの性能は格段に進歩しているのに、である。
道路設計において安全性を確保する手段の基本の一つとして、「相互車両の速度差を小さくする」というものがある。簡単な話だが、複数の車両が存在する場合、それぞれの速度の差が小さいほうが、混乱が起こり衝突したりする可能性を低く出来、その結果、安全性が担保される、ということである。
記事の、捜査サイドの「車の性能が上がり、逃走車両の速度も速くなっており、時代に即したものに」という言い分が仮に一般車の制限速度は現行のままで、ということであれば、一般車からしたらたまったものではない。逃走車の速度が上がり、それに合わせて追跡車両の速度も上げるのに、一般車だけは大昔の規定のままノロノロ走らされては、一般車が逃走車に追突され身に危険が及ぶ可能性が増すことが想定されるのは、容易に想像が付くであろう。
真偽のほどは私には分からないが、昭和30年代においては国産車で100km/hもスピードが出るクルマは存在しなかったので、高速道路の制限速度が100km/hになったという話は知っているかたも多いであろう。高級外車でやっと150km/h程度が出せる時代であったのであろう。
しかし今は、国産車でもリミッターを解除すれば200km/h以上で安定して走行できるクルマの存在が珍しくない時代である。そのスピードの追求は、人間のあくなき欲望のためと言いながらも、そういう高い次元の走りを追い求めることで日本が工業立国としての大きな技術力を持つ原動力となったことも事実であろう。
それが現在でも、何十年も前に制定された「高速道路で100km/h」という規定のままである訳だから、時代に即していないのは当たり前であり、それは捜査車両に限った話でも、一般車両に限った話でもない。日本の将来のモータリゼーション全体に関わる話である。制限速度は低いほうが基本的には安全であるが、それは「全ての人が制限速度を守った場合」の建前であり、あまりに低すぎる制限速度は守らない違反者が増加し、また守る者と守らない者の速度差が大きくなることから逆に安全性は低下する可能性もあるし、また実態と「決まりごと」の内容が大きく乖離している結果、今回の記事のような「捜査車両に関する支障」も出てくるのであると想定されるのである。
【さいごに】
繰り返しになるが、私は取り締まりが無くなって道路が無法地帯になることを望んでいないし、逆に現在取り締まりが行われていることにより一定の秩序が担保されていることに感謝している。
また、制限速度(もしくは規制速度)の値に納得しているか否かに関わらず、「決まりは決まり」であり、その決まりごとを破り違反切符を切られた場合には、私は異議を唱えるつもりは一切ない。現に速度違反や駐車違反で過去に数度、違反切符を切られたが、すべて速やかに反則金を納付している。それが「法治国家」で生きるものの最低限の義務と考えている。
ただし、義務の履行とは別に、「本当はこうあるべき」と思うことは多々ある。制限速度に関しても冒頭で述べたように、一般道路で60km/hというのは良いと思うのだが、高速道路で100km/hというのは、いささか低すぎると思っていた。そこで今回の記事を目にしたことを機に、このコラムを書いた次第である。
なお最後に付言すると、制限速度は安全性に関わる話のみならず、日本の国力にも影響する話である。極めて簡素に言えば、仮に120km/hで安全に移動できる手段に対して100km/hの制限を付加すれば、20km/h分の便益が失われ、そのロスは国力を落とすことに他ならないと私は考えている。
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