私の考える商業とは
ちょっとそういう回答をする機会があったので書いてみる。
商業とか事業とか、私にとってその手のものは良く言えば「困っている人を助ける」であり、悪く言えば「困ってる人を助ける代わりにお金をもらう」というものだと私は思っている。
この世に存在する多くの企業やサービスを考えてみてほしい。そしてその消費者のことを。
消費者は必ず「何らかの困った事態」に直面している。そしてその「困った事態」を解消または解消の手助けをするものがサービスであり企業であり事業だと私は思うのだ。それは飲食しかり医療しかりITしかり。
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飲食店を例に挙げて考える
飲食店の場合、「空腹」という生理的に困った状態を解決するための手段であることがわかる。さらに付け加えるのであれば数多ある飲食店で「美味しさ」や「雰囲気」「価格」といった付加価値によって競い合っているわけだ。しかし本質的な部分では「空腹で困っている人の救済」ということになる。
ソーシャルゲームを例に挙げて考える
ソーシャルゲームはもっとアコギだ。無料でゲームができるという要素により人を集め「ゲーム内で困った状態」を意図的に生み出し「ゲーム内で困った人を救済するアイテム」を売りつけるわけだ。ちょっとした商業的ビオトープである。
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自分を例にあげて考える
では私の場合はどうか。多くの場合、「知識がない」「技術がない」「時間がない」のいづれかによって困っているクライアントの救済が私の生活の糧になっているわけだ。「知識・技術が無く、それらを習得する時間的ゆとりも無いクライアントの代わりにシステムやWebサイトを構築する」ということですね。
インターネットは困った人の宝庫
そこでインターネットの本質を考える。インターネットの本質は情報の共有だ。そしてその共有されている情報を求めている人はいづれも「困っている人」だ。なぜ情報を求めるかと言うならば情報をその時点で持っていないからと言う事だからね。なのでOK WaveやYahoo知恵袋が賑わうわけだ。
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なので商業とは
困ってる人を見つけること(マーケティング、リサーチ)。
そして見つけた困ってる人を助けること(サービス、事業)。
ということになると私は考えています。スティーブ・ジョブズが言ってたように「困ってる人」は「何に困っているか」を知らない場合もあるわけなので、一概に一括りにはできないが、この考え方は概ね間違ったものではないと思うんだがな。
まぁちょっとこう考えると阿漕ですけどね。
1112 / 1130 2012-03-19 / 入力時間 12分
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