死刑廃止と死刑存置の考察■序■当ホームページのスタンス・第二稿
端的にいって現状の死刑廃止論というのはやはり受け入れがたい。「凶悪犯罪者は赦せないし赦すべきではない」と筆者は考える。凶悪事件判決を見聞きしたときに「ひどい事件だが、犯罪者の人権� ��最大限保障しなくてはならない」という考えには到底至らない。これは犯罪を見聞きしたときに被害者の立場に自分の家族に置き換えたり場合のことを想像するからだろう。(その感情のみで死刑を存置する立場には立たないが)死刑制度が人類に普遍的に見られる制度であることを考えると「死刑」という制度自体は自然状態で存在するべきものだ。凶悪なことをする人間はその生存すら赦せないというのは人間が原初的に持つものなのだと思う。
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死刑廃止論者はこの感情を克服し容赦することこそ重要だ、と述べているのではないか。しかし何故その感情を持ってはいけないのか?何故その感情を克服しなければならないのか?
人権というのは人間が生活を営む上で考案されたシステムに他ならない。「あらゆる人間には本質的に人権がある」わけではなく「あらゆる人間に本質的に人権があると仮定する」というものだと考えるべきだ。またその人権は必要によって制限することが出来るはずである。制限のためのルールとして「法」があるのではないか?法によって不当な行為によって人権を制限することを制約するとともに、正当な手続きによれば人権は制限できる。人権思想というのは人間が便利に暮らせるためのシステムなのであると思う。
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例えば死刑廃止論者が持ち出す論法に「我々は奴隷制度・身分制度等を蛮習として排除してきた。将来死刑制度を蛮習として断じる段階がくるはずだ。」というものがある。しかし奴隷制度や身分制度は蛮習として排除されてきたわけではないと思う。排除した時点の社会がこれらの制度を廃止したほうが「利」がある、として排除してきたはずである。特に民主主義社会では社会全体の「利」によってあらゆる方針が決定される。奴隷制度よりも黒人に高度な経済活動を認めたほうが社会全体に「利」が得られるからこそアメリカは奴隷制度を廃止できたのだ。
例えば先進諸国間の戦争は今後発生しないと筆者は予測する。� ��ぜならば「戦争は悲惨だから」というような観点からではなく、もうすでに社会は戦争によって「利」を得ることは見込めないからだ。社会は戦争によって「利」が見込めるからこそ外交の延長線で戦争という手段を選択してきたのであり、多大な投資によって高度な文明社会が構築された現在、戦争は経済的に封印されているのである。
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民主主義国家における死刑廃止は社会に「利」をもたらすのか?その点が最も重要なポイントなのではないか。もし死刑を廃止することによって、社会全体に現状より「利」がもたらされるのであれば、将来的に死刑は廃止されるだろう。そのような観点にたたない限り死刑廃止は国民の支持を得られないはずだ。欧州諸国の死刑廃止は議会主導で行われている。「利」の点でみれば本質的に未だ死刑制度は否定されてはいないのだ。現に死刑廃止半世紀を経ているイタリアでも死刑復活を望む世論は41%に及んでいる。
国の方針はその国の民族自決により決定されなければならないはずだ。日本では民族の意思として死刑は存置すべきである と考えているのだから、そのシステムに大きな問題がない限り死刑は存置されるべきだ。筆者は死刑制度に問題があるかどうかを考察する目的でこのホームページを作成した。
死刑制度を廃止するか存置するかという議論は感情論になりかねない。このホームページではなるべく両者の意見、主張を公平・客観的に扱いたい。また自論に有利な資料を誘導的に掲載するようなことは極力避けるつもりである。もし、そのような兆候がある資料があれば是非ご指摘いただきたい。但し、学者ではないのでふらふらと死刑存置的ページ構成になることはお許しいただきたい。
このホームページは筆者の意見を主張する場所ではない。皆さんが死刑制度の理解を深め、その廃止または存置について多少なりとも参考になるようなホームページを構成していくつもりである。
2005年7月16日現在日本には74名の死刑囚が収監されている。日本全国の1年間の自殺者数約3万3� �人、交通事故による死者は年間約8千人にものぼる。それらと比較すれば74名、である。しかしながら彼等は明日死ぬかもしれないのである。そのような特殊な状況を念頭におくことは重要だと思う。
もちろんこのような議論がなくなるような社会を指向するのが最も正しい選択であるのはいうまでもない。しかしながら石川五右衛門も言っているように「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」というのも厳然たる事実である。完全無欠のユートピアがこの地上に現れたことは未だかつてない。
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