古代エジプトに関するQ & A (2) 質問51. ツタンカーメン王墓の封印に縛られた9人の捕虜達の上にジャッカルが伏せている図がありますが、これは何を表しているのですか? (中尾)
ジャッカルは墓地の支配者(ネブタジェセル)であるアヌビス神です。縛られた9人の捕虜達は九つの弓の民を表しています。九つの弓の民は本来エジプトの政治的な外敵の総称ですが、宗教的なコンテクストでは神々の敵や死者達の敵を象徴します。従って死者達に害をなし、来世の秩序を乱す敵が侵入しないようにアヌビス神が見張っていることを表しています。(西村)
質問52. 東京都美術館で開催中のルーヴルのエジプト展にデモティックで書かれたプトレマイオス時代のパピルスが展示されていました。黒インクが使用されているとの説明がありましたが、何から作られたインクですか? 墨ではないのですか? それからどうしてインクは何千年経っても消えないのですか? (上原)
墨だと思います。念のためにM. Depauw, A Companion to Demotic Studies, Bruxelles, 1997, p. 84を見たところ、デモティックを書く時にはカーボン・タイプが、ギリシア語を書く時には時たま金属タイプが使われたと述べられています。金属タイプのインクについては、P. T. Nicholson & I. Shaw, Ancient Egyptian Materials and Technology, Cambridge, 2000, p. 238にルーヴル美術館による紀元前252〜98年のパピルスに使われたインクの分析結果が述べられていますので、ご覧下さい。いずれにしてもデモティックを書く時にはカーボン・タイプのインクが使われたので、エジプト展に展示されていたパピルスにもやはり墨が使われていると思います。またインクが消えないのはアラビアゴムのような樹脂が墨に接合剤として混ぜられていて、安定しているからです。(西村)
質問53. 古代エジプトの書物に世界最古の奇術が記されていると聴きましたが、それは何という書物のことでしょうか? またベニ・ハサンの墓壁画に「カップと玉」という奇術をしている場面があると聴きましたが、それはどの墓に描かれているのでしょうか? (廣田)
紀元前1600年頃に書かれたウエストカー・パピルスにはクフ王の前でジェディという老人が首を切り落とされたガチョウの胴体と首を元通りにするという魔術をやってみせるという物語が記されています。この物語の内容についてはこのサイト内で日本語訳を掲載しておりますので、お読み下さい。それから、ベニ・ハサンのバケト3世(第15号墓、第11王朝末あるいは第12王朝初め)の南壁に二人の男性が向かい合って座り、4つのカップを伏せて何かをしている場面があります。P. E. ニューベリーの解説では「カップと玉のゲーム(?)」となっており、それ以来この場面は奇術をして遊んでいる場面としてよく紹介されています。これについては、P. E. Newberry, Beni Hasan, part 2, 1891, London, p. 49 下から3行目とplate 7で、御確認下さい。ただし、これが本当に奇術の場面なのかどうかは不明です。「カップと玉のゲーム」については、下記のURLもご覧下さい。(西村)
(G. Wilkinson, Manners and Customs of the Ancient Egyptians, vol. 2, 1892, London, p. 435より)
質問54. 古代エジプトでは男性は割礼をしたそうですが、女性も割礼をしたのでしょうか? (上原)
今までの検査によると、男性のミイラは大部分のミイラが割礼されていました。しかし、男性全員ではないので、王族、貴族、神官だけが割礼を受けたのではないかと考えられています。これは成人への通過儀礼ではなく、神殿での勤務に身体の清浄さが求められたからです。割礼を受けた年令も生まれてすぐというのではなく、10代前半だったと思われます。一方女性については、現代のスーダンで女性全員が割礼を受けていますが、古代エジプトの女性のミイラからは割礼を受けた例は見つかっていません。従って現段階では女性は割礼をしなかったと言うしかありません。(西村)
質問55. 一般の人々は死んだらどんな墓が作られるのですか? また一般の人々は副葬品を入れるのですか? (中尾)
王や高官達の墓の周辺に彼らの召使い達や一般民の墓が作られました。墓の形は小規模なシャフト墓か小さな塚のある土壙墓です。副葬品はいくつかの土器や石製の容器、銅製・フリント製の道具、化粧道具、仕事道具だったでしょう。後の時代になると護符やウシャブティがこれらに加わりました。新王国末期以降は墓を造る場所がない、あるいは墓を造る費用がないという理由で、すでに存在する富裕な人の墓に自分達の棺をこっそり割り込ませるということが頻繁に行われましたね。(西村)
質問56. 古代エジプトではどんな名前が多いのですか? (中尾)
古代エジプト人の名前は、王様の誕生名や神様の名前あるいはエピセットを組み込んだものがとても多いですね。特に、時代が下るにつれて、神様の名前を組み込んだ長ったらしい名前が増えますね。これはもちろん王様や神様からの守護を期待しているのですね。その他には、生まれてきたばかりの赤ん坊が大人になるまで生きてくれることを願って付けられたものや、家系を示すもの、性格を示すものなどがありますね。時代によってかなり流行があるので、全時代を通じてこの名前が多いとは特に言えませんが。(西村)
質問57. 名祖(なおや)神官(eponymous priests)って何ですか? (石田)
プトレマイオス朝の王族の崇拝儀式を司る神官です。一年間官職を保有する神官の名前が公文書に日付けを入れるのに役立ったから、名祖神官と呼ばれます。この神官職は現在統治している王を神そのものとして、王妃を女神そのものとして崇拝するために創設されました。彼らはギリシア人の家系で、プトレマイオス朝の高官でした。王や王妃が自ら自分の崇拝儀式を行うこともありました。こうすることによってプトレマイオス王家のカリスマ性を高め、王国の支配を強化しようとしたのです。特に王妃あるいは王の母の優勢の結果、クレオパトラ3世以降彼女達はクイーン・イシスと呼ばれました。一方アレクサンダー大王はディオニュソス神として、プトレマイオス朝初期の王たち(1世〜4世)もその栄光の故に崇拝されまし た。有名なクレオパトラ7世の異例の地位の高さはこのようなプトレマイオス王朝の長年に亘る政策の賜物だったのですね。(西村)
質問58. アビドスのポケルの祭礼を執り行ったイケルネフェレトが持っている称号「ゲブ神の白い礼拝堂のイリーパト」って何ですか? (中尾)
Lexikon der Ägyptologie, Bd.3, 177-181には「老齢の王に代わってセド祭のランニングの儀式を行ったように思われる。」と書かれていますが、イケルネフェレトはセド祭ではなくポケルの祭礼(オシリス神崇拝)を執行したので、王に代わって国家の重要な祭礼や式典を執行する任務を持つ官僚に与えられる称号ではないかと思われます。それでは、ゲブ神の白い礼拝堂とは何かというと・・・王権はゲブ神からオシリス神を経てホルス神に継承されたので、ゲブ神は王の祖先と考えられていました。従って王の祖先崇拝に関連のある施設だったと思われます。(西村)
質問59. ネフェレトイリー王妃の墓壁画の中でトート神の前に書記のパレットと水差しと一緒にカエルが描かれていますが、このカエルは何を表しているのですか? (中尾)
その壁画は「死者の書」の呪文94とともに描かれています。呪文94は死者がトート神に書記のパレットと水差しとオシリス神の腐敗した遺体から流れ出るものを与えてくれるように懇願する呪文です。Olaf Kaper, "Queen Nefertari and the Frog : On an Amphibious Element in the Vignette to BD 94" , Bulletin of the Australian Centre for Egyptology, vol.13 (2002), pp. 109-126によれば、カエルは水差しの中にある液体、すなわちオシリス神の腐敗した遺体から流れ出るものを具体的に表したものであり、死者はこの液体を使って筆記することによって再生復活することができるのです。第18王朝のネフェルレンペトのパピルスでも呪文94の挿し絵には書記のパレットと水差しとカエルが描かれています。(西村)
質問60. 古代エジプトではイスラエル人はどのように描かれているのですか? (野中)
旧約聖書列王記上第14章によれば、第22王朝シェションク1世はパレスティナに遠征し、そのときイスラエル王国とユダ王国を征服しました。カルナックのアメン神殿の第一中庭にあるブバスティスの門にはシェションク1世のパレスティナ遠征の記録が彫られていて、それが聖書の記述が史実であることを証明していると言われています。しかし、征服された人々はみんな一様に新王国の伝統的な様式に従ってアジア人として描かれています。従って古代エジプトの記念碑にイスラエル人の図像はありません。(西村)
質問61. アレクサンドリアにセラピス神殿を建てたのは誰ですか? (佐藤)
セラピス神を創造したのはプトレマイオス1世だそうなので、もしかしたらプトレマイオス1世がすでにセラピス神殿を建てていたかもしれませんが、その証拠はありません。しかし、プトレマイオス3世がアレクサンドリアに新たに大規模なセラペウムを建てたことは知られています。彼はセラピス神をオシリス神信仰と結びつけ、さらにメンフィスの神官団と結びつけることによって、新興のセラピス信仰に積極的にエジプト的要素を取り入れました。メンフィスのプタハ神殿でプタハ神と同一視された聖牛アピスが飼育されていたことは広く知られている通りです。ちなみに、セラピス神をイシス女神と結びつけたのはプトレマイオス4世です。オシリス神とイシス女神はプトレマイオス朝の王夫妻と密接に関連づけられました� ��このようにして、セラピス神はプトレマイオス朝と王都アレクサンドリアの守護神となりました。(西村)
質問62. 属国の王からファラオに差し出される王女が裸で描かれているのはどうしてですか? (岡田)
当時は身分の区別なく子供は裸で描かれました。属国の王女たちがファラオの下に嫁ぐ目的はファラオに対する忠誠心を示すため、両国の友好関係を維持するためであり、ファラオの王妃として嫁ぐのであり、そういう意味で彼女たちは政治的に重要な役割を負っていました。従って彼女達が裸だからといって、ファラオに手篭めにされる場面を想像しないで下さいね。(西村)
質問63. 死んでから埋葬されるまでどれくらいの日数がかかりますか? (野口)